Series / 2017.05.24
OG 福王寺さんインタビュー
福王寺彩野
生年月日:1981年10月31日
血液型:O型
出身地:東京
成城大学文芸学部芸術学科卒業、在学中に博物館学芸員資格取得。文化勲章作家の福王寺法林を祖父に、芸術院会員の福王寺一彦を父に持ち、幼少の頃から芸術に触れながら育つ。大学在学中より、母親が経営するジュエリーブランド「AHKAH」でプレスを務め、卒業直前の2003年11月に「AHKAH」の妹ブランドとして自身初のブランド「tinkpink」を立ち上げ。ジュエリーデザインのみならず、アパレルブランドや着物、カフェ、化粧品など多岐にわたり異業種コラボレーションを手がけている。現在は子育てをしながら、「AHKAH」取締役兼PR、「good juice 〜Terre Table〜」取締役兼PRをつとめる。

福王寺彩野
生年月日:1981年10月31日
血液型:O型
出身地:東京
成城大学文芸学部芸術学科卒業、在学中に博物館学芸員資格取得。文化勲章作家の福王寺法林を祖父に、芸術院会員の福王寺一彦を父に持ち、幼少の頃から芸術に触れながら育つ。大学在学中より、母親が経営するジュエリーブランド「AHKAH」でプレスを務め、卒業直前の2003年11月に「AHKAH」の妹ブランドとして自身初のブランド「tinkpink」を立ち上げ。ジュエリーデザインのみならず、アパレルブランドや着物、カフェ、化粧品など多岐にわたり異業種コラボレーションを手がけている。現在は子育てをしながら、「AHKAH」取締役兼PR、「good juice 〜Terre Table〜」取締役兼PRをつとめる。
――福王寺さんがJJ bis(以下bis)に出ていたのはいつ頃になるのでしょうか?
21歳のときに初めて出ました。いま35歳なので14年前かな。そう考えるとすごく昔ですね。大学4年の1月か2月に初めて撮影をして、3月売りの号が出たときに卒業式をしていた記憶があります。
――当時のモデルさんは女子大生が多かったですよね。
ほぼ女子大生でしたね。JAMという、奥田順子ちゃん、春名亜美ちゃん、村上実沙子ちゃんのユニットは在学中から卒業後も出ていたので、20代前半の女の子がメインという感じでした。私は、bisが創刊したときにちょうど大学生だったので、ドンピシャな世代だったんです。可愛ゴーとか、関西の派手なテイストがすごく好きで、読者モデルとして雑誌に出る前からbisを愛読していました。
――関西の華やかな子たちがたくさん出ている雑誌っていう印象でしたよね。
読モは神戸の子が多くて、ほぼ関西の子たちだったと思います。関東は私くらいだったんじゃないかな?
――bisに出るようになったキッカケはなんだったんですか?
当時の編集部の方に見つけて頂いたという感じですね。母が『AHKAH』というジュエリーブランドをやっていて、大学1年のときからプレスの仕事をしていたんですけど、その展示会でbisのライターさんとお話をする機会があったんです。今はJJをやられているライターさんなのですが、その方とお話をしているときに、私の服装や小物を見て「持っているものが可愛いしbisのテイストにすごく合うから誌面に出てほしい。企画を出してみるね」と言ってくださって。それで本当に企画が通って。
――bisの前にも雑誌には出ていたんですか?
『AHKAH』のPRとしてはちょこちょこ出させて頂いたりしていました。bisに出る半年くらい前に、『tinkpink』という自分のアクセサリーブランドを立ち上げていて、そのときにブランドの特集を組んでもらったこともありましたけど、福王寺彩野という個人を前面に出して頂いたのはbisが初めてでした。
――初登場はどんな企画でしたか?
自分で言うのはちょっと恥ずかしいんですが(笑)、『福王寺彩野さんのプチセレブな人生』という企画でした。成城大学に通いながらブランドのプレスもしているよっていうことで、オンとオフの特集をしてもらったんですね。オンのときは『AHKAH』のオフィスで、オフのときは学校の友達と集まって撮影しました。
――特集から始まったんですね。
当時、読者モデルとして人気が出てから、お声がかかってブランドを出すという流れが徐々に始まってはいたんですけど。私は逆だったんですね。ブランドのほうが先だったので。そこを面白いと思って頂けたみたいで、
――初登場後、すぐ連載が始まりますね。
嬉しいことにかなり反響があったみたいで、そこから「彩野ちゃんが選ぶ新作小物」という連載を休刊までずっと続けさせてもらいました。気になるお店をとりあげて、新作の中から自分が気に入ったものをピックアップして紹介するという連載でした。ファッション誌ってブランドの新作を紹介するページがあると思うんですけど、そのページを私が個人でやっているようなイメージです。
――全部ご自身でセレクトしていたんですか?
モデル兼スタイリストみたいな感覚でやっていました。毎月、行きたいお店のラインナップをたくさん出して、ライターさんにアポ入れをしてもらって、プレスで選んでいるところや持っているところを撮影して、ピックアップしたアイテムをまとめて商品カットの撮影をして。毎月8~16ページくらいやっていましたね。今ではそのボリュームって考えられないです(笑)。
――撮影期間はどのくらい?
1日です。毎月30軒は回っていたかな。朝8時にロケバスで家に迎えに来てもらってそこからずっと回って夜の9時近くまで。時間が遅くなるとプレスルームが閉まってしまうから、1時間に2、3軒回ることもありました。移動の時間もあるので実際に選んでいる時間は5分くらいのときもあったり…。パッと決める即決力が求められるけど、私は好みがはっきりしているので迷うことはほとんどなかったですね。bisの撮影でハワイや韓国へ行ったときはその場で物撮りもしていました。韓国の市場の片隅に撮影用のシートを広げたりして。
――記憶に残っている企画はありますか?
自分の部屋の模様替えをした“お部屋改造計画”です。キューティーブロンドのエルのお部屋みたいにかわいく変えようということで、閉じ込み別冊で丸々1冊やりました。ライターさんと雑貨屋さんを巡って材料を仕入れてきて。この企画は楽しかったですね。
――全部DIY?
そう、ライターさんと2人で。トンカチでカンカンみたいなことはしませんでしたけど、机にファーを貼ったり。『クレアーズ』だったり、今はもうなくなっちゃいましたけど109の『ルビーローズ』とか。そういうところで小物をいっぱい買ってきてインテリアをデコっていました。当時は今よりもブリンブリンな雑貨屋さんがいっぱいあったんですよね。
――話は戻りますけど『AHKAH』のプレスはいつからされていたんですか?
大学1年生からです。当時は、社長の母とデザイナーの男性2人と、事務の女性が1人しかいなくて、プレス業務を出来るのが私しかいなかったんです。授業の合間にリースのアポを入れたり、授業と授業の合間に会社に行って仕事をしてからまた学校に戻ったり、放課後にキャラバンに行ったりするような生活でした。
――なかなか忙しいですね。
はい。でも、ファッションがとても好きだったので、自分の大好きな業界の人たちと関われるのがうれしかったです。
――『tinkpink』がスタートしてからも『AHKAH』のプレスは続けていたんですか?
bisに出るようになってから、いろんな企業さんからもお声を掛けて頂くようになって、プレスのお仕事からは少し身を引きました。24歳のときに私は私で『tinkpink』を会社にして、個人の活動は自分の会社でやるようになって、『AHKAH』は常勤のプレスの人間を立てました。bisに出演するようになって産休に入る前までが一番いろんな仕事をしていましたね。『tinkpink』とキティちゃんとのコラボも毎年行っていましたし、アパレルブランドのディレクターやバイヤーをやっていたこともあります。
――当時、bisのモデルさんたちとの交流はありましたか?
『AHKAH』のプレスとして以前からイベント等で顔を合わせていたので、個人的には皆と仲良くしていました。
――誌面で絡むことはほとんどなかった?
そうですね。自分の連載ページの撮影はいつも1人だったので。関西の子たちはきっと毎月会って一緒にいろいろ撮影をしていたと思うんですけど、私はずっと1人でした(笑)。東京のかわいいお店を案内する企画で、1度だけ一緒にショップ回りをしたことはありますね。あとは、JAMの村上実沙子ちゃんが東京に来たときに『AHKAH』に来てくれて一緒に撮影したり。毎年ハワイへはJAMの子たちと一緒に行っていました。
――ハワイロケは恒例?
年に1、2回はハワイへ行かせてもらっていましたね。JAMがお洋服やコスメ担当で私が小物担当で、現地を回ってかわいいアイテムを紹介するんです。ロケ自体は別々だったんですけど、夜はみんなで一緒にごはんを食べました。8泊した最後の日にお買い物したものをベッドの上にバーッと広げてJJごっこの撮影をしたり。LAと韓国にも1回ずつ行かせてもらいました。
――ハワイに8泊ってかなり豪華ですね。今だったら同じボリュームでも3泊5日だと思いますよ。
もう10年くらい前の話なので…(笑)。今と違ってブログも始まってすぐくらいですし、SNSも全然発達していなくて、若い子たちの情報源は雑誌しかない時代でした。特にbisはみんなのリアルが見られる唯一の存在だったんです。私服、バッグの中身、ポーチの中身が見られる雑誌はbisだけだったので。とにかく一番新しいもの、最新の情報を発信しなきゃ意味がないという気持ちがいつもありました。
――情報の鮮度に読者もすごく敏感そう。
そうなんです。常に情報は更新していかないと。そこはすごくがんばっていたと思います。元々新しい物好きだったので情報を追い求めるのはとても楽しくて。海外セレブが注目を集め出した時期で、パリスが着ていた服や小物を必死に探したりしていました。今みたいに日本で買えるサイトも少なかったから、eBayのオークションで落札したりとか。
――わあ、がんばってる!
ブリトニーや、ジェシカシンプソンにすごく憧れていました。血を入れ替えられるなら外国人になりたいと思っていましたもん(笑)。ブリトニーと同じファージャケットを探して死ぬほど検索したり…。見つけても海外から日本に送ってくれるところが少なくて。だから私、自分の名義でアメリカに私書箱を借りていたんですよ。いったん私書箱に送ってもらってから、日本に送るっていう。
――私書箱!
借りていましたね、フロリダに。いまほどECが発達していなかったので、それくらいのことをしないと向こうの可愛い物が手に入らなくて。確かヴィクトリアシークレットのコスメ等も当時日本への配送をしていなかったので、全部私書箱に送ってもらっていました。そういえば海外からのお買い物の特集もしてもらいました。彩野ちゃんの私書箱に届いた海外の可愛い物!みたいな企画。
――どんな物から情報を得ていましたか?
『People』など海外の雑誌を見たり、海外のパパラッチのサイトで日々更新されるセレブのファッションチェックをしていました。ブリトニーがPVで着ていた衣装だったら、バッとジャケットがはだけた瞬間をスロー再生してタグを必死で見て(笑)。それぐらい自分たちから取りに行かないと情報が手に入らなかった。だから余計に一生懸命だったのかな?貪欲でしたね(笑)
――情報の価値も高いから、発信したら反響も大きそうですね。
そのためにも情報はbis先行にするようにしていましたね。ブログより先に誌面で紹介していました。
――常におしゃれのアンテナを張って生きてたんですね。
仕事につながっていたっていうのもあるし、ファッションやおしゃれが好きというのが大きいですね。当時はまだ独身だったし、当然子供もいなかったので、すべてをファッションやかわいいものに注ぐことができた。みんなより先に見つけることに命をかけていたと思う。そうやって調べたことがどこにも出せなかったらそこまで熱心にはならなかったと思うんですけど、bisという発表の場があったのでやりがいを感じていました。
――福王寺さんは学生時代、どんな雑誌を読んでいたんですか?
中学生のときから赤文字系の雑誌は全部読んでいました。JJ、CanCam、ViVi、Rayから、egg、ストニュー、セブンティーン、ポップティーン…etc。その年代ごとに合わせて一通り買っていました。ヘアメイクにも興味があって大学とダブルスクールでメイクの専門学校にも通っていたので、VOCEも創刊から読んでいたし、雑誌が好きで好きでUOMOやMEN’S NON-NOなどのメンズ誌もほとんど買っていたんですよ。毎月50冊以上は読んでいました。
――すごい!
大学生のときに世田谷区から港区に引っ越しをしたんですけど、そのあと成城の駅前にあった本屋さんが一軒閉店したんですよ。そのときは「彩野が引っ越したから本屋さんが潰れちゃった」と言われるくらい買っていました。だから毎月23日は大忙し。いろんな雑誌が発売されるので。朝から晩まで全部読んで。キャプションからスタッフクレジットまで全部読んでいました。
――そこまで読む人はなかなかいないですよ。
どのページをどういう人が作っているのか気になるじゃないですか。この企画はやっぱりこのメイクさんなんだ!とか。全ての雑誌の読モの名前もほとんど覚えていました。
――作り手側の視点も持っていたんですね。
学生の頃はビューティーライターになりたいとも思っていたので、読んで勉強している感覚もありましたし、雑誌オタクだったんだと思います。ブランドのプレスを始めるようになってから、業界と関われるようになるとますます雑誌が好きになりました。「あのスタイリストさんからリースのアポがきた!」とか、ひとりで大興奮(笑)。
――当時のbisはどんな作りをしていたのでしょうか?
bisはヘアメイクさんがいなかったので、みんな自分で研究していたのも思い出深いです。後にJJに出るようになって「ヘアメイクさんがいるんだ!」ってことにまず驚きました。表紙以外は全部セルフだったんじゃないかな? それを読者の子たちは楽しみにしていたんだと思う。セルフのヘアメイクが上手な子たちが出ていて、その子たちのプロセスをリアルに見られるっていうのが。
――本当にリアルな作りだったんですね。
巻いたり盛ったりっていう時代でしたし、みんなすごく研究熱心でした。いまの自分だったらすっぴん素髪でも出歩いちゃいますけど、当時は巻かないと外に出られなかった。持ち歩き用のガスコテは必需品でしたね。なぜあんなに巻き髪が命だったのか不思議(笑)。お化粧もみんな濃かった。関西の子たちに聞いたら、ベースだけでも色がついているコントロールカラーに、リキッドファンデーション塗って上からパウダーファンデーションを重ねるみたいな感じでした。コテコテでしたね。でも、どれだけお化粧しても関西の子たちには負けるみたいで、誌面で見ると薄いんです。読モの子たちからは「彩野ちゃんっていつもすっぴんみたいだよね」って言われてました(笑)。
――髪色も明るくて?
金髪なら明るければ明るいほどいいと思っていたし、肌も常に日焼けしていました。自分より綺麗な金髪の人を見ると対抗意識が燃えていましたね(笑)。
――当時の必需品は?
デコ電ですかね。当時はガラケーでしたけど、デコレーションに命をかけていました。毎回スワロフスキーの色からデザインを考えて、ストラップも重ねづけ。そういうお店もたくさんありましたしね。ペンとか鏡とか名刺ケースとか身の回りのものを全部デコってたから持ち物が重かったです(笑)。
――憧れのモデルさんはいましたか?
私が初めてJJを買ったときは梅宮アンナさんや、梨花さんが出ていた時代で、10代後半~20代前半のドンピシャな世代の頃は小畑由香里ちゃんや田波涼子ちゃんに憧れていました。Chestyの小川淳子ちゃんと平山玲ちゃんがJJで連載をしていて、そのページが1番好きでした。
――2006年にbisが休刊しますが、その頃の話を聞かせてください。
bisはすごく人気があったので、全く予兆もなく、突然だったので本当にショックでしたね。私も25歳で大人になってきた頃だったので、いつまで出られるかな? とは思っていたんですけど、まさか雑誌のほうが休刊になるとは思っていなくて。部数が落ちて…みたいな流れではなかったと思うので、残念で仕方なかった。読者の子も出ているモデルも皆、「え!?」みたいな。それこそ存続のための署名運動をやって提出もしたんですが…。
――そうだったんですね。
その後、私はJJで“おしゃP”として出させて頂きましたし、アラサーに近づいていたのでタイミング的には卒業した方が良い頃だったのかもしれませんが、やはりとても悲しかったです。読者としてもbisは大好きな雑誌だったので。
――いまはご結婚されてお子さんもいらっしゃいますが、仕事にはどう関わっていますか?
いまは『AHKAH』の取締役とPRディレクターのお仕事、主人が経営する『good juice』のお手伝いが中心です。『tinkpink』での展開は少しお休み中ですが、今年の春に小嶋陽菜ちゃんがAKBを卒業したときに、記念のアクセサリーを一緒に作りました。こっちはゆっくりやっていきたいなと思っています。
――いまは育児がメインですか?
子供が今2歳で来年には幼稚園になるので。仕事はある程度セーブしてバランスをとりながらしています。会社に行く日もなるべく決まった時間にしていて、その日は子供をプレスクールに行かせて、その間にオフィスへ行き、夕方にはお迎えに行くので早めに退社させてもらっています。
――今はどんな雑誌を読んでいますか?
VERYを読んでいます。ママとしてすごく実用的な情報がたくさん載っているので参考になります。昔はコンサバな服はたまにしか着ていなかったんですが、結婚して子供を産んだ今はすごくしっくりくるんですよ。結局ずっと光文社が一番好きなんです(笑)。
――ありがとうございます (笑)。
お世辞じゃなくて本当です(笑)。光文社の雑誌ってリアルな作りなので日常に取り入れやすいんです。読者の方もいっぱい出ているし。そういう作りが私は元々好きなんだと思います。
――最後に、bisの復刊を聞いたときの気持ちを伺えますか?
すっごくうれしかったです!!編集長の中郡さんからご連絡をいただいて、当時出ていた子たちにも連絡しました。みんな喜んでくれています。11年ぶりの復刊ですから、当時のbisとは全く別なものにはなるとは思いますけど、いまのbisを改めて読んでみたいという気持ちです。創刊号を見るのがすごく楽しみなんです。中郡さんの作る世界観も私は好きで、LARMEも読んでいたので、いち読者として新生bisに注目していきたいなと思っています。
2017年現在のバッグの中身とポーチの中身を大公開♡
A.エルメス ポリード
エルメスのバッグは綺麗めの服装にも合うので重宝しています。つくりもしっかりしているので母から譲り受けることも。
B.ティッシュケース、D. ヘアブラシ、I.ヘアゴム
すべてラドローのもの。洋服で遊ぶのは年齢的に難しくなってきましたが、そのぶん小物は遊び心のあるデザインが好きです。
C.エルメス ケリーウォレット
シンプルすぎずエレガントに持てるところが気に入っています。
E.エルメスの名刺ケース
お財布やバッグ、キーケースと合わせて名刺ケースもエルメスを愛用しています。デザインは使いやすくベーシックなものを。
F.ディオールのサングラス
新しくできたギンザシックス店限定のサングラス。今年の4月に買いました。落ち着いたお洋服のときもアクセントになりそう。
G.ヴィトンのiPhoneケース
約3ヶ月前に購入。かわいいけどとても重いです(笑)。横になっている時は顔に落とさないように気をつけてます。iPhoneは7プラスなので余計に重いのかもしれません。
H.Chesty×FEILERのポーチ
毎年このコラボは買っています。子供が生まれてからタオル生地がすごく重宝できて更に好きになりましたね。
J.ディオールのディオールスキン ヌード エアー パウダー コンパクト002。
このブロンザーを使うと、日焼け感のあるツヤ肌になれます。
K.リップは、YSLのヴォリュプテ ティント イン バーム ♯3。名前を入れてもらいました♡
L.グロスは、ジルスチュアート フォーエヴァージューシー オイルルージュ グロウ 05を使っています。リップクリーム要らずで潤います。
M.PRIMOのマスカラ。通っているまつげエクステサロンが出しているオリジナルのエクステ用マスカラ。お湯で簡単にオフできるので便利です。
N.RMKのフェイスポップ クリーミィチークス 03。ほんのり血色を良くしたいときに。ふわっと軽く仕上がります。